t44or2’s blog

PC関係の忘備録、ときどき趣味とか

新海誠とは誰ですか?

 『君の名は。』を見た。

大嫌いな『秒速5センチメートル

 僕の中での新海誠は、というと、『秒速5cm』の人である。そして、大嫌いなアニメ監督である。初めて『秒〜』を見たのは、大学1年生の頃だったと思う。キモオタ見習いだった僕は、大学の友人の家でこれを見た。童話の ように美しい第1章から、雲行きの怪しい第2章(覚えているのは花苗ちゃんが可愛かった、ということだけだ)、そしてゴミクソのような最終章。正直に言って「山崎まさよしに謝れ」と思ったし今もそう思っている。それ以来今まで、新海誠に積極的には手を出していなかった。

大ヒットした『君の名は。

 『君の名は。』のヒットはもちろん僕の耳にも入り込んできた。社会現象とまでは言うまいが、僕らの界隈では今年最強のコンテンツだったはずの『シン・ゴジラ』を歯牙にもかけずに、どころか在りし頃のジブリアニメと比較されるまでになるほど、『君の名は。』は衝撃的な大ヒットを飛ばしていた。僕がわざわざ劇場まで足を運んで、この映画を見てやろうと思ったのは、正直に言ってここまでの話題作になったから、というところが大きい。言ってしまえば、2016年のランドマークにするつもりだった。観覧車のようなものだ。中身は覚えていなくとも、体験した、という記憶だけは残る。

ヒットの理由と新海誠

 『君の名は。』の評判を聞いているうちに、予感していたことがある。それは、ここまでの大ヒットになった理由だ。何のことはない。僕が大嫌いな新海誠の、大嫌いな部分をそぎ落として、綺麗な部分だけ残してしまうこと。それだけで(僕の知っている)新海誠の根暗ムービーは、簡単にエンターテインメントに転化する。実際に映画を見て、予想通りの結果だった。TS過去改変の不可思議ボーイ・ミーツガール。料理の仕方さえ間違えなければ、とりあえずの美味しさは約束されている。別れた二人は最後に運命的な出会いをして、ハッピーエンド。思わず唸ったものだ。そうそう、こういうのでいいんだよ、こういうので。最後男女が幸せなキスをして終了ではなかったあたりに、新海誠の最後の矜持みたいなものを感じた気がしたが、それだけだった。『君の名は。』という2016年最強のデートムービーは、意外なほど爽やかに僕の喉を通り過ぎていった。

君の名は。』は名作なのか?

 名作である。「面白いのか」と言われれば「面白い」と答えるし、「見た方がいいのか」と聞かれれば「迷うくらいなら観に行けばいい」というだろう。一方で、僕は自分からは、『君の名は。』を勧めることはないと思う。それは、僕にとっての『君の名は。』が、普通に面白い映画の一本ではあっても、僕の人格形成信念宗教にまで影響するような、傷跡を残す映画ではなかったからだ。とにかくこの映画には、狂気や執念とも言うべき作品の「えぐみ」というものが皆無だった。それはおそらく、今回の大ヒットにつながった大きな理由のうちの一つだと思う。『君の名は。』という映画には当たり障りがない。だから、綺麗な部分だけに没頭できる。『君の名は。』のシンプルなボーイミーツガールは、誰にとっても受け入れやすいように仕上がっている。分かりやすく、面白い。

 だけどいったい、そんなものを勧めて、誰が喜ぶんだ?

「らしさ」の終わりとエンターテインメント

 僕はたしかに、『5cm/s』を見たとき、ある種の新海誠らしさを邪魔だと思った。じめじめとして惨めったらしい新海誠らしさは、見ていて不快な気持ちになる。その気持ちは今も変わらない。そういう新海誠特有のえぐみを濾し取った『君の名は。』は大ヒットしたし、僕も面白いと感じた。そこにはよくできたエンターテインメントが残った。失望する新海誠ファンはいるのかもしれない。僕は別に、新海誠が商業主義に走ったのだ、とは思わないし、そうだったとしてもどうでもいい。僕にしてみれば、新海誠が僕の嫌いな部分を削ぎ落としたうえで、良質なエンターテインメントを提供してくれるというのだから、歓迎しこそすれ、批難する謂れは何一つない。ただ、大昔に聞いた忘れられない言葉を思い出す。「自分らしさを抑えて薄めて潰して、それでも滲み出てしまうのが個性だ」という趣旨の言葉だ。『君の名は。』という映画には、かつての新海誠らしさというべきものが感じられなかった。それが新海誠という人物にとって抑圧だったのか開放だったのかは知らない。とにかく、結果的に、かつての彼らしいえぐみというものは取り除かれた。その後に残ったものは、僕とっては爽やかで面白い、単なるエンターテインメントだった。新海誠という人物は、果たして、その程度の人物だったのだろうか。その程度の童貞だったのだろうか。その点だけは、僕にとっても少し気がかりで、そしてほんの少しだけ、残念に思う。